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ユニフォーム物語

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戦前・戦後篇 1936年~1940年
綱島理友のユニフォーム物語 ユニフォームのイラストをクリックすると詳細が見れます。
(左)景浦将(右)山口政信
(左)景浦 将
(右)山口政信
このユニフォームを保存する人物博物館
愛媛県は数多くの野球人を輩出した野球王国。景浦将選手や60年代の指揮官藤本定義監督なども出身者。森初代監督以外のタイガース関係者のゆかりの品々も展示中だ。

愛媛県松山市上野町甲650
愛媛県県民学習センター内

 戦前の職業野球創設期のユニフォームを見たいと思っても、それはなかなか難しい。残念ながらほとんど残っていないのだ。

 現在公になっているのは3着。

 野球体育博物館にある東京ジャイアンツと名古屋軍のユニフォーム。そしてあともうひとつが、愛媛県生涯学習センターの人物博物館が保存している、大阪タイガースのグレーのユニフォームである。

 職業野球がスタートした1936年に森茂雄初代監督が着用していたグレーのユニフォームで、胸マークはOSAKA。袖にはあのトラのマークもついている。森監督は愛媛県出身なので、人物博物館が寄贈を受けて保存しているワケだ。

 タイガース・ファンなら、間違いなく一度は見ておきたいユニフォームだと思う。

 初代のトラはシニールレターと呼ばれる刺繍で作られていた。これは1ミリのフェルトにループ状に糸を打ちこむ刺繍で、アメリカのスタジャン・メーカーが得意とするスタイルだ。現在もオーソドックスなスタジャンのマークには、このシニールレターが使われているコトが多い。戦前のトラのマークは実に凝った刺繍で作られていたのである。

 それから凝っていると言えば、胸マークや背番号といったレターやラインも凝っていた。すべてに金のテープでパイピングが施され、丁寧に縫いこまれている。おそらくすべて手作りなのだろう。製造元は美津濃で、非常に手のこんだユニフォームであった。

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